2012年4月7日土曜日

感謝道・名人塾 そして感謝名人の道へ


さて、いよいよ「感謝道・名人塾」の最終章です。前回の「感謝道・上級レベル編」からこの記事をアップするまでかなりの期間が開きました。

まずはこのページをいきなり読むのではなく、前のほうから順番に読んでいただきたいと思ったからです。ある程度、感謝道を実践していただいてから、このページに目を通していただく。そのほうが、これからお話しすることがよく理解できますし、心に残ります。

ホームページの更新をさぼっただけだろう!

そう思ったあなた。半分正解です(笑)

当「ココロのスリム化講座」のコンセプトはお気楽人生。管理者の私も、まったり更新で〜す。

さて、いままで「感謝道・名人塾」を一通り読まれてきてどうでしょうか? 自分の心や意識に何か変化はありました� �?

まだ、感謝の念が湧いてこないとすれば、あなた自身を縛りつけてるいろいろな思いがまだ残ってるのでしょうね。なかなか感謝できない人の深層心理には、感謝することは敗北だという思いがあります。人に屈するのはイヤだという思いがあります。ある意味、古い価値観に縛られており、自分が変化していくことを恐れているのです。

何かに執着していたり、小さなことに固執してしまうと、本当に大切なものが目に入らなくなってしまいます。そういう思いを多く持ってる人ほど、その思いがかなわなかったときに苦しみが多くなります。そこから離れて、気持ちを切り換えると楽になれます。感謝の念も湧きやすくなるのです。

なにごとにも素直に「ありがとう」と言えるようになった人はラッキーですね。なに ごとにも感謝できる人が、本当に幸せな人生を歩めるとお話ししてきましたから。

しかし、幸せになりたいから感謝しようというのであれば、それはまだ本当の感謝ではありません。本当の感謝とは、何か願いをかなえようとしてするものではありません。

感謝の念とは自然に湧き上がるもの。本当は、「感謝しよう」と思ってするものではありません。「ありがとう」という気持ちや言葉が、無理に意識しなくても湧き出てくる。無条件にそれができる。

この自然の想い、無条件の感謝の念は、自分自身を大きく変革させていくパワーがあります。場合によっては、人生の方向転換を引き起こすくらいのチカラがあります。

これが不平不満やグチばかりを口にしていたらどうでしょう。憎いと思ってる相手� �責めてばかりいたらどうでしょう。そのときは、少しは楽になったような気がするかもしれません。しかし、結局は自分自身の心を消耗させてしまいます。自分で自分を傷つけることになるのです。

さて、真の感謝とは何でしょう? それは、無理に「ありがたい」と思うのではなく、自然に湧き上がってくる「ありがとう」の想い。確かにその通りなのですが、まだ十分ではありません。

先ほど、感謝の念は自分自身を変えるチカラがあるとお話ししました。それだけではありません。自分の周りの人々を変えていくチカラもあるのです。

たとえば、あなたの大切な人が、大きな事故に遭遇、あるいは病気になったとします。大切な人が瀕死の状態だったらどうでしょうか。「他のものは何も要らない。ともかく、この人 の命が助かれば!」と思うことでしょう。


も最小の人が将来のコースを変更することができます

あなたの大切な人は一命を取りとめます。あなたは大喜びです。あなたの大切な人が、あなたの喜んでいる姿を見たらどうでしょう。自分が助かったことを、これだけ喜んでくれる人がいる。あなたの大切な人はその姿に感動し、あなたに感謝することでしょう。

そうです。"真の感謝"とは、相手も感動させてしまうものです。心の底から湧き出た感謝の念が、この感動の気持ちを奮い立たせるのです。さらに付け加えれば、良いことだけではなく、自分に降りかかった災難に対してもです。

感謝するということは、幸せな人生を歩むためのパスポートみたいなものです。このパスポートを手に入れるためのヒントが 、この「感謝道・名人塾」です。

真の感謝とは自然に湧きあがってくる想い。本来は練習したり、トレーニングを積んでいくという性質のものではありません。とは言っても、いままで感謝の念が足りなかった人が、すんなりとその境地になれたら苦労はしません。だからこそ、その実践として、「ありがとう」と言いましょう、あらゆるものに感謝しましょうとお話ししてきたのです。

ここで注意すること。感謝するということは、幸せになるためのきっかけ、条件に過ぎません。「ありがとう」を言ったり、感謝の念を持つことが目的ではありません。そのこと自体に、あまりこだわらないでください。「感謝道・初級レベル編」でもお話ししましたが、決して「ありがとう病」にはならないでくださいね。感謝しよう、感� �しようと一生懸命にならないことです。

無理をせずに、気楽に楽しみながら感謝することの素晴らしさに気づいていく。いずれは、感謝しようと意識しなくても、自然にその想いが湧いてくるようになる。嫌いなものに対しても、感謝の念が湧いてくるようになる。自分は好きなものにも嫌いなものにも、あらゆるものに生かされてると気づくわけです。

嫌いな人も、誰か他の人にとってはかけがえのない存在。だから、みんな生きている。どんな人にも存在する意味があるのです。会ったことがある人だけではありません。会ったこともない世界中の人々とあなたは、見えない部分で繋がっているのです。

そして、あなたの感謝の念が、自分自身にも周りの人にも感動を与えようになる。さらには、その想いのエネルギー が、世界中の人々に、地球の大地・大自然に、さらには大宇宙にまで広がっていきます。

そうです。この広大な宇宙にある一つの惑星・地球に住むのが我々人間です。人間はその広大なモノの中で生かされてる存在です。イメージできますか? 無限に広がる宇宙に思いをはせると、自分の気持ちも無限に広がっていく感覚になりませんか?

そうすると、自分を生かしてくれている"無限なる存在"に感謝の念が湧いてくる。そう、神様に感謝するような感じですね。私は宗教家ではありませんが、こういう気持ちも大切だと思っています。

ここで言う神様への感謝とは、いわゆる神社なんかでする神頼みとは違います。賽銭箱の前で手を合わせて、「神様、お願いします」と祈ってる。この行為は、お金をあげるから願い� ��をかなえろということですよね。これは取引きみたいなもので、神様への感謝ではありません。


医者の医者私がここで何です

たとえば商売繁盛を一生懸命に神様にお願いする。本当に繁盛すれば神様にお礼を言うでしょうけど、商売が失敗したらおそらく感謝しないと思います。商売が繁盛したから感謝する。そうではなくて、日々感謝の気持ちを忘れずに過ごすからこそ、商売もうまくいくわけです。

私はいままでの人生の中で、祈願というものをあまりしたことがありません。親元を離れてからは、初詣でに行ったこともありません。厄年になってもお祓いに行ってません。神様に何かをお願いするのは、何か違う、都合が良すぎるのではないかと思ってるからです。

自分の生き方を改めもしないで、困ったときや願い事があるときだけ神頼みをする。そんな都合のいい話は� ��りませんね。たとえば初詣で。毎年有名な神社には何万人もの人が押し寄せますね。大勢の人々が、適当にお賽銭を投げていく。それだけの人たちの願い事をかなえるほど、神様もヒマではないと思いますよ。もし、すべての人の願いがかなうのなら、みんな幸せになり、もっとまともな世の中になってるでしょう。

私の父は自分とは違い、お寺参りとか厄落としというものをマメにやってるほうです。交通安全とか家内安全のお守りもよく買ってきてました。普段は「神様なんていないよ!」なんて言ってるのにね。結局は頻繁に大きな事故や病気を引き起こしてました。現実はそんなものです。

神頼みやお参り、お祓いをしないと、自分に災難が降りかかる。そう信じている人は大勢います。それをちゃんとやっても、災難 から逃れられない人もいます。そうです。お祓いをしないから、災難が来たというわけではありません。心配したり恐れたりする自分の心が災難を招くのです。不安な気持ちは不安な出来事を、恐怖心は怖くなるような出来事を引き寄せるのです。

神仏を重んじたり、お参りすることを否定してるわけではありません。それに向かい合う自分自身の気持ちが大切だと言いたいのです。お参りする前に、まずは自分の生き方を見つめ直してみましょうということです。それを無視して、「私を苦しみから解放してください。お救いください」と念仏を唱えるだけでは、その願いはかなわないでしょう。

感謝するのに理屈はいりません。もし、神仏に手を合わせたりお寺参りに行くのであれば、「私は毎日を感謝して生きて� ��す。ありがとうございます」と神様に報告するだけ。願い事をするものではない。それが本当に神様に感謝するということではないでしょうか。

私も療術の仕事をしていますので、様々な病気の人にお会いしてきました。身体の痛みや苦しみで悩んでいた人が、快方に向かうと当然喜びます。私も感謝されます。そのとき、大抵の人は「健康であることはありがたいことですね」と言います。

自分が健康であることに感謝する。それは素晴らしいことです。しかし、それは裏を返せば、自分が病気になったら感謝しないということでしょう。よく病院に行っても病気が治らないので、お寺さんに健康長寿の祈願をしてきたという人がいます。しかし、それでも体はよくならない。それはよくなるはずがない。なぜかといえば、健康を願うということは、既に自分が病気であると改めて神様に宣言してるようなものだからです。


drは誰です。

「病気だからあたり前じゃないか」と思われるかもしれません。しかし、人間というものは悪く考えてると、いつまでもその状態のままになるものなのです。

私が病気の人によく言うのは、病気は悪いものではない、病気は人生の学びの場であるということです。自分の生活なり、人生を軌道修正させるためのメッセージです。だからこそ、病気も感謝の対象です。病気をいつまでも病気とだけ捉えていれば、一向に体は回復しません。

健康にしてくれと祈る。それは、いつまでも病気のままにしてくれと言ってるのと同じことです。病気になったことに感謝し、そこから何かを学んだ人だけが真の健康を得ることができます。

つまり、自分の都� ��のいいことだけに感謝するのは、本当の感謝ではありません。そういう人は、都合が悪くなると不平不満を言うようになります。災難からも素直に何かを学ぶ。理屈なしで、ただ生かされてることに感謝する。そうなりたいものです。

真の感謝には、何かを願う心や求める心はありません。「思い通りにしたい」というような何かを要求する気持ちもありません。相手に奉仕したとしても、見返りを期待したりはしません。相手が自分に感謝してくれなくても結構なのです。それでも、相手に何か与えようというのが本当の奉仕です。相手が自分に感謝してくれない。そのように文句を言うのは、本当の奉仕ではありません。

余談ですが、インドで使うヒンディー語には元々「ありがとう」に相当する言葉があり� ��せん。インドの人は、あまり感謝の言葉を口にしないことで知られています。それは、感謝とは心からするものだと重く受け止めているからだとか。お礼を言ってしまうと、「はい、それでおしまい」という風になって、自分がしてもらった恩を忘れてしまうからという考えがあるみたいです。

インドの人はお礼を言われるのも嫌い。仲の良いインド人に「ありがとう」と言うとイヤな顔をされます。これは、「何を水くさいことを言っているんだ」という意味です。君と私は友人同士なんだから、いちいちお礼なんか言うなよ、ということらしいです。

「親しき仲にも礼儀あり」の日本とは違いますね。人から何かを貰ったら「ありがとうと言いなさい」としつけられています。言い方を変えれば、自分に恩恵があったときだ け、お礼を言っておきなさいとも取れます。相手に何も見返りを期待せず、感謝の言葉も必要としないインド人。見習うべき点はあるかもしれませんね。

さて、話を元に戻しましょう。真の感謝ができるようになれば、自分自身を縛るつける思い、執着心、欲やエゴが限りなくゼロに近くなってきます。

そこには、ただ純粋に感謝している自分しかいない。何の思いにも縛られずに、ただ感謝の念があるだけ。そこには何の理屈もない。すべてのことを忘れて、「ありがとう」の言葉と想いがあるだけ。24時間、ずっと感謝、感謝。寝ても覚めても感謝。感謝してれば、それだけで幸せみたいな感じ。感謝のかたまりのような人間。


そうなれるといいですが、一歩まちがえれば変人扱いされるかもしれませんね(笑) そうですね。真の感謝とは、良い意味で、おバカ、アホウになれということかもしれません。私は感謝することしか知りませんよ。「ありがとう」の言葉しか知りませんよというくらいにね。

頭のいい人、賢すぎる人はそうはいかないでしょうね。やはり、理屈をつけていろいろと考えてしまいがちです。いろいろな思いがありますから、そこから多くの苦悩が生まれてしまいます。

真の感謝=余計な思いがない=悩みや苦しみが生まれない=人生を楽しく生きれる

そうです。感謝名人とは、人生を楽しく生きる名人ということですね。

私もまだまだ感謝名人に程遠い存在で� �。感謝名人は、なりたいと思ってなれるものではありません。逆に感謝道の実践なんかしなくても、感謝名人になれる人は自然になれます。

それでは「感謝道・名人塾」なんて意味がないじゃない!という声が聞こえてきそうですね。

いえいえ、そんなことはないですよ。何も知らないよりは、何もやらないよりはずっとマシです。人間、成長しようという気持ちを持たなければ何も変わりません。

感謝名人になれない人のほうが多いから、「感謝道・名人塾」みたいなものが必要なのです。みんながすんなり感謝名人になれるのなら、世の中は大成功者だらけになっていますよ(笑)

とりあえず、人生は何があっても楽しいものだという気持ちに切り換えていくこと。お気楽にね。

いつの日か、あなたも私も、� ��然に感謝名人の域に達するといいですね。


「感謝道・名人塾」関連ページのリンク

できれば、上から順番に読んでいくといいですよ。

感謝名人になろう
ちょっと波動のお勉強
大いなる宇宙のエネルギー
ありがとうは特効薬
感謝道・初級レベル編
感謝道・中級レベル編
感謝道・上級レベル編
そして感謝名人の道へ(いま表示されているページ)



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