陸前高田に降り立ったときの印象はぬかるんだ地面と瓦礫の山。
津波の被害で壊滅的の場所です。
本当に何もなくて
残っている建物も廃墟と化していました。
5階建てマンションの5階にまで泥や船の備品が突き刺さっていて何度も目を疑いました。
何の匂いだろう?
焦げ臭い匂いがつーんと鼻に抜けていきました。
あとすごく静かでした。
報道のヘリや自衛隊のヘリが上空を旋回している音だけが響いている感じ。
雪が瓦礫の山に積もっていて、ずっとしんしんと降っていたけど寒いという感覚よりも恐怖のほうが強かったです。
足が震えていたのは寒さでなく恐怖でだったと思います。
一分間黙祷をしながら
もっと早く来るべきだったと思いました。
避難所や病院に行く前に
ざっと市内を案内される。
ここは商店街でした、
ここは郵便局だよ、
ここはおいしいラーメン屋、
ここは公民館、
ここは幼稚園、、、
ただの瓦礫の山。
電動社長不眠症の歌詞
15mくらいの真っ黒な津波が往復して全てを飲み込んでいったとのこと。
避難勧告が出て準備をしていたり、逃げる最中にみんな流されて行って
誰かのせいにすれば少しは矛先が出来て醜い感情を出せるけど、天災だから怒りの持って行き場がないと言っていました。
年に数回海を敬うお祀りもあっていつも海に感謝をして暮らしていたんだよ、それなのに・・・と
現地の人は案内しながら涙を流していました。
もうこの時点で私も泣きそうだったけど、絶対泣かない約束だったから
現実から目を背けて曇った空ばかり見ていました。
案内する人の後ろをずっと手をグーにして肩をすくめてついていきました。
風が吹くとどこからか
セピア色の写真や赤ちゃんの写真付きの年賀状が足元に飛ばされてくる。
そして一歩二歩歩くごとに赤い旗がヒラヒラ揺らいでいる。
しかも数えきれないおびただしい数の旗。
「この赤い旗は遺体が見つかった場所に立てられています」
正直つらかったです。
ある旗の前に佇んでいるお婆さん。
私のお婆さんと同じくらいの年だったかな?
彼女は私を愛しと言うときにしか表示されなかった場合
「東京の看護婦さん、
ここにおじいちゃんが戦後一生懸命働いて建てたおうちがあったんだよ、
おじいちゃん病気ひとつしなかったのに死んじゃったよ」
人間の感情があるから泣くなと言われても無理でした。
リーダーナースが飛んで来て私の耳を引っ張って車の陰に連れて行かれて
すっごくおこられました。怒られようがもう自分は素直な感情でここでやっていこうと思いました。
テレビで映されているのは報道規制のなかの範囲内でそれでもあの映像。
映されない、テレビで流せない現状をこの目で見てきましたがそれはもう地獄でした。
案内されている隣で
自衛隊の方が瓦礫や木材をどかすと泥だらけになった遺体が必ず出てきて。
この光景は一生忘れないし
忘れてはいけないと思う。
瓦礫や木材と言っても数日前は誰かの生活の一部だった家や道具や誰かの宝物です。
その下から続々見つかる遺体。
そのたびに手を合わせる自衛隊の方々。そして偶然居合わせてしまった私たちも合掌しました。
初日はあわただしく避難所をまわってお年寄りの血圧測定と健康相談でした。
無我夢中で多分、私に笑顔はなかったんじゃないかな。
高齢者が多いな、という印象でした。
シーンを窒息させる
電気が復旧していないので暗くなる前までに1人でも多く血圧を測ってあげたくて本当に無我夢中でした。
脈をとっていると私の手を握り返してきて
「孫と同じくらいだな、看護婦さん。あったかい手だねぇ」
とそのまましばらく目を閉じているお婆さん。
両手を合わせて拝んで
何回も何回もお礼を言うおじいさん。
寝たきりなのに飛びきりの笑顔を見せて起き上がろうとするおじいさん。
美味しそうに小さなおにぎりを食べる子供たち。
毛布に包まって眠る赤ちゃん。
健康相談では「体育館では眠れないよ」
「親類と連絡がとれなくて眠れない」
と眠れない訴えが多く
血圧も高めなかたがたくさんでした。
すっかり暗くなる頃には
私の腕が上がらなくなっていました。
10数ヶ所の避難所、それでもまだまだたくさんまわれなかった避難所と救護所だらけでした。
あとから聞いたのですが
私は初日だけでも数百人の血圧を測ったらしい。
でも全然足りないくらい、測ってあげられなかったお年寄りのほうが断然多かったです。
気付けば朝トイレに行ったきり夜更けになっていました。
反省会や明日以降の予定のミーティングを終え、移動の疲れや現地を目にしたショックと
避難所まわりであっという間で忙しく過ぎた1日でした。
避難所だってぎゅうぎゅうで
もちろん私たちは寝る場所もなく
初日の夜は遺体安置所のわきの簡易プレハブに男女関係なく雑魚寝。
疲れているのに眠れるわけがなく、
持ってきたiPodを聞きながら友達と撮った写真を見たり圏外のままの携帯にこの文章をずっと打っていたり
友達がくれたメールを読み直して
1日泣くのを我慢していたのでバスタオルに包まってずっと朝まで泣いていました。
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